編み込む日常

30代半ばでシングルマザーになりました

家庭内ヒエラルキーについて

元夫はこの国でかなりヒエラルキーのトップにいたのでは?と思った。

大卒、ヘテロ、自国籍、高身長、高収入、20代。

いや、そんなことはわかっていたはずだけど、私と元夫との間にある不公平感は、「働いている人」と「専業主婦」という構造からくるのだと思っていた。目に見える違いといえば収入があるかないかというだけで、問題の原因をいつもそこに集約しようとしていた。学歴にはほぼ大差なく、同い年で、どこかで同志のように思っていたところがある。

同志なのになぜわかりあえないんだろう、といつももどかしかった。

 

でも現実は、同志とは全然違って、相手は社会的には圧倒的に強者だ。

私は収入のない女子で、圧倒的強者とは言い難い。

2人の間の収入格差で不公平が生じるだけではなく、生活そのものがすでに共有できることが少なかった。

彼はホモソーシャルのお手本のようなマッチョなコミュニティーでマジョリティを存分い謳歌していた。女性といえば花を添えるだの、賑やかしだのと悪びれもなく言っているような人たちといつも一緒にいた。

なんか違うと思うと同時に悪い気はしなかった。同時に傷ついてもいた。

 

それでも同じ土俵にいると思っていたし、私の生きづらさは話せば理解してもらえるし、理解してくれないのは、相手の向き合い方が足りないからだと思っていた。

向き合い方どころか、生きづらいのは自分と相手の人間性のせいだと思っていた。

社会的な構造に目がいくことはなかった。

  

そもそもの立ち位置が全然違った。

そのことに某書評を読んで思い至ったのだけど、彼は強者だったというのがしっくりきている。

強者たる彼のそばにいることで安心していたのだし、そこに自分を投影していたし、その振る舞いに吸い寄せられていたのではなかったか。同時に強者たる振る舞いが我慢ならなかったし、強者だからこそ彼は浅はかでいられたのではないか。

 

当たり前だと思って疑うこともしなかった関係性の歪みが、いまも、この生活にもはびこっていて、別のことの結果として現れれているかもしれない。

オリンピック・パラリンピックと、結婚末期の共通点。

最近のオリパラを見ていると、結婚末期を思い出す。

相手の行動発言すべてが、予想外の、しかもこちらの気持ちを逆なでするところからやってくる。

よくも、まぁ、ことがうまく運ばない方法を、次から次に選ぶことができるな、と不思議なぐらい。

毎回傷つき穏やかではいられないのを繰り返し、呆れる。

結果、関わるのをやめるという「離婚」からの、疎遠。そしてようやく穏やかな日々がやってくる。

 

ここのところのオリンピックとパラリンピックの動きを見ていると、次から次に気持ちを逆なでするようなニュースが飛び込んでくる。よくも、まあ、ここまで徹底して不快にすることをチョイスできるなぁ、と呆れる。

この感じ、結婚末期と同じだ。懐かしい。

 

思うに、「共通認識の崩壊」がどちらにもあるのだろう。

関係性を築く上で、初歩的な根本的な部分での思いのズレが、もはやつなぎとめられないところまできている。

「なんのために」という目的とか、「こういうもの」という定義の部分が、共通していない。

 

結婚の場合は、生活していくうちに形を変えて少しずつ修正したりカスタマイズしていくものなのだろう。一方が頑なに変わることを拒んだり、変化を受け入れなかったら次第にずれてくる。

また、大きな環境の変化や気持ちの変化があるたびにすり合わせることをしていかないと、気付いた時には取り返しがつかないところまできている。

または、変化とともにそもそも目的を失ってしまうこともあるかもしれない。「独身の方がいいな」とか。

それに、冷静に考えたらそもそもの考えを訂正したい気持ちになるかもしれない。

うちの場合は全部によって、共通認識は崩壊していた。

そして、何もかもが穏やかではいられないやりとりによって、崩壊を目の当たりにする。

 

 

オリパラの場合は、主催したい側と、それを享受する人たちとの認識のズレが、もはや隠しきれなくなっているのではないかしら。

オリンピックはただのスポーツ大会にはない複数の意味合いがあるらしい。
「復興五輪」と言っていたように、スポーツ大会だけど復興もできる、らしい。

聖火リレーがあることにも何か意味合いがあるのだろう。

開会式や閉会式にもそれぞれコンセプトがあるらしい。

 

意味合いや社会的役割が膨らみすぎていることも結婚に似ている。

この結末はどこへ行くのだろう。

オリンピックにおける離婚、平穏な日々は何を意味するんだろ?

 

 

子育てには若いパパの力が必要か?

「子どもは若いうちがいい。男性の妊活に年齢的制限はないけれど、体力があるうちの方が絶対にいい」という意見を見てもやもやしている。

 

娘が一歳の時に別居して、結婚中も元夫は非協力的だったことから、娘が生まれてからほとんどずっとワンオペだった。結果、なんとかやってこれた。若い男性のパワーがなくても育児はなんとかなってるし、どの道なるようにしかならない。

結婚中は、夫がいるにも関わらず自分1人でやっていることの不公平感がいつもあったが、離婚して1人でやると決めてからは、ベビーカーで坂道を登ることも、バスや電車に乗ることも、男手があったらなぁ、とはほとんど思わなかった。なくてもなんとかなる。 不便な造りのビルへの不満は多々あったけれど。

ベビーカーで街を歩くとき、力持ちのパートナーがいれば楽だったかもしれないけれど、それは私にとってみれば「もう少し背が高ければなぁ」とか「父親がトムクルーズだったらなぁ」という願望に近い。もしそうだったらあり得る不都合のことは無視して、一瞬よぎる願望という程度。なくてもなんとかなる。私は結婚が向いていなかったので誰かと育児をすることの方が難易度が高いことは想像ができる。よく考えれば今の方が良い。

父親はトムクルーズじゃなくていいし、パパは若くて力持ちじゃなくてもいい。もっと言えば困ったときに力を発揮するのは、パートナーでなくてもいい。

ワンオペでなんとかやってこれているのは、折に触れて助けてくれる周りのおかげだ。

 

ある時、エレベーターのない駅のホームの階段を、ベビーカーを抱えて登ろうと階段を見上げて気合いをいれていたところ、バッグパックを背負った旅行者らしい彫りの深い男性がこちらを見てニコッと微笑んだかたと思ったら、ひょいとベビーカー持ち上げて上まで運んでくれた。
さりげなくスムーズでスマートな動きに驚いきながら、男性の後ろから階段をついて登り「ありがとう!」と慌てて言った。その男性はまたニコッと微笑んで去って行った。その淀みのない動作が「当たり前のことをしただけ」と本当に思っているだろうことを表していて、感動した。

ベビーカーで子どもを連れていると、助けてもらうことはよくあった。電車の乗り降りの時、ホームと電車のちょっとした高さの違いと隙間が難しい。ベビーカーの後ろからぐっと体重をかけて前輪を上げて電車に乗る。その時、すでに乗っている人がベビーカーの前から少し持ち上げてくれると驚くほど楽に乗ることができる。見ず知らずの人が、ベビーカーを持ち上げてくれるというのは度々あった。ほんの一瞬のことだけれど、それだけでびっくりするほど楽なのだ。

もう娘はベビーカーを卒業したので、そういう大変さはなくなったけれど、ベビーカーで電車に乗ろうとしている人がいたら、手伝おうと心に決めた。

 

何が言いたいかというと、父親は若くて力持ちでなくても全然いいし、なんなら父親がいなくてもなんとかやれている、ということ。

若い男性の力がないと子どもが育てづらいなんて、極論を言えば力を持つものが過ごしやすい社会を認めることになる。

力を持っているかどうかは、快適に暮らすことに何も関係がない社会をどうしても目指したい。

そこには条件があって、育児にパワーが必要なのは確かだから、今では親がやって当たり前とされていることも、周りの人がもっともっと手を貸していくようになればいいと思う。自然と手助けをすることがもっと浸透していったらいい。

あのバッグパックの男性のさりげない行動の先には、1人でも育てにくさを感じない社会が一瞬見える気がした。

蜂が入って来たことや家で過ごすことなど。

ベランダがしっかり菜園になった。朝起きてカーテンを開けてベランダを見ると、昨日と違う様子が目に入るので、つい、ずっと眺めてしまう。

窓を開けて膨らんで来たトマトを眺めていたら、バチバチと嫌な音がする。

いつの間にか部屋に入った蜂が窓に当たっている。

「蜂が入った!」娘が叫んで、ソファから転げるように降りて、キッチンの方に逃げる。

殺虫剤は持っていないし、虫網もないし、どうしよう。叩き潰すのも嫌だし、蜂が攻撃に怒ってこちらに向かってきたらもっと嫌だ。

結局できるのはまた窓から出て行ってくれることを願って窓を開けておくしかない。

次の虫が入ってくる危険があるけれど、それ以外にできることがない。

窓が開いているとわかってくれない蜂が、窓に向かって何度も突進して窓と羽が当たって嫌な音を立てる。

「そっちじゃないよ!こっちが開いてるよ!」2人して蜂を応援して数分。

蜂は偶然開いている窓の方に移動して、解き放たれて三階のベランダから飛び立って行った。

 

梅雨の晴れ間の空気は、太陽で熱を持ち重たく全身に絡みつく。

雨が続いてると早く夏がきてほしいと思っていたけれど、こんな様子ならこれからしばらくは雨でも晴れでも家にいるしか選択肢はないと思う。

秋が待ち遠しい。

 

1年半が経とうとしている自粛生活もすっかり馴染んできて、週末ごとに遠出をしていた生活がどんな様子だったか思い出せない。

散らかった部屋で映画を見て、お絵かきをして、パズルをする。家で過ごすことで感じいていた罪悪感のようなものもすっかりなくなった。太陽を無駄にしているような、もっと楽しいことが外にはあるのではないか、と思う、ここではない何処かへ行きたいというような気持ちも今ではすっかりない。

他のみんなが楽しんでいるのだから、同じように私も週末を満喫しなければ、というような強迫観念だったのかもしれない。

絶え間なく目に入る外の魅力的なものを体験しなければ損をすると思っていたのかもしれない。

 

今では、多くの人がそのような楽しみ方はしていないし、そもそも、そんなにやりたいことばかりだったわけでもないのだろう。

確かに家の外には何かは、あった。目的地を決めずに出かける時にある人や物との出会いは好きだ。

ふらっと入った喫茶店の美味しいタルトとか、イベントで出店していたジュエリーショップの店員さんが娘に優しくしてくれたこととか。

今でも時々懐かしく思い出す。

それでも家も悪くない。

絵を書いたり、映画を見ることにも思いがけない出会いもある。この生活は私には結構快適だ。

コロナを気にせずに出かけられるようになったら以前の生活と今のスタイルを掛け合わせてハイブリットに暮らせればいいな。

どう転んでも痛いなら、好きに転ばせて欲しい。

手を引かれて、導かれて、巻き込まれるように転ぶと人のせいにしたくなるのよ。

もしかしたら足を擦り剥かずにすむかもしれないけど、

それでも危ない思いをしたことを人のせいにしたくなるのよ。

 

1人で歩いていて転んだら、恥ずかしくて痛くて、なんか笑っちゃったり、転んだくせに「すいません」とか言ったりして、あとでこっそり痛さで涙が出たとしても、自分で立ち上がるしかない。

 

どうせ転ぶことが前提の人生なんだし、どう転ぶも自由。

 

1人で失敗してから、何もかも始まった。

不安がないわけではないけれど、

飛び込んだ先の世界を諦めなくてよかった。

そこは、思っているより何倍も自由で、何事にも手触りがあるよ。

きっと、誰かのせいにしているときには感じられない物事の手触りで、ヒリヒリする。

足りなかったのはこれだ、と思う。

 

外から見たら私は以前と変わらないかもしれない。

確かにやっていることは、昔から変わらない。

 

でも、手触りが全然違う。

勇気をもって諦めなくてよかった、と心から思う。

あのまま人のせいにして生きていらたと思うと、ぞっとする。

きっと大丈夫だから、これからも好きなだけ好きなように転んだらいいよ、私。

 

元夫と、娘と、私の今の関係。脳内裁ちばさみの話。

離婚をして元家族の中では一番幸せな人間となった私だけれど、そこにある2つの条件を守ることがその幸せをキープしている。

二つの条件とは、

一つ目は、好きな人(娘)と一緒にいることができることで、二つ目は、好きじゃない人(元夫)と関わらなくていいということだ。

 

特に二つ目の元夫と関わらないということには、なかなか至ることができなかった。

お世話になった人とは少なからず、良好な関係を築かなければいけないという強迫観念があった。

それに、一旦家族という関係になり、距離感をうまく図ることができなくなっていた。

 

 

結婚中はもちろん、離婚するまでのやりとりでも、離婚してからでも、元夫と関わることがあると、とにかく何もかも、全て、一筋縄では行かなかった。

その度にメンタルがひどく削られる。

機嫌よく過ごす母でいることが私のシングルマザーの使命であるのに、毎回落ち込んでしまう。

離婚までして距離をとったのに、なんでこんなにかき乱されなければいけないのか!!

いつも腹が立っていた。

関わるたびに暗い顔をしてイライラしていた。

こんなことでは娘の母親として最悪だし、何より自分が嫌になる。

 

そこで、

「そうだ、もう一切関わるのをやめよう。」

と決めた。

 

確かに一度は家族としてお世話になりお互い様なところがあったとは思うけれど、もう、この人と関わるのはいっさいやめよう。

そうすることが、私にも、娘にも、最善であることは明白。

私と元夫という個人的な関係は、ゼロにすることに決めた。

脳内で、母から譲り受けた鋭利で重たい裁ちばさみを使ってジョリジョリと繋がりを切断した。

 

過去はともあれ、2人の関係は今後、無である。

とは言っても娘と父親の関係は、私とは切り離して考える。

私は娘が自分で発信できるようになるまでの、メディアでいることに決めた。

娘と父親の間をつなぐメディア。

メディアに意思はなし。ただの電波でありツールであり橋である。

 

一度ルールを決めてしまえば、あとは徹底して定着させるのみ。

良好な関係を築きたいらしい元夫から連絡が入ることがあるけれど、裁ちばさみでジョキ。

困ったことがあったらしくヘルプを求められたことがあり良心が多少痛むが、裁ちばさみの出番。

とはいえそれは簡単ではなかった。

ネガティブなものを向けられた時に跳ね除けることは難しくないが、厄介なのは、優しさや庇護がこちらに向けられているように見える時だ。

その度にぐらんぐらん揺れていたけれど、そういう場合でさえ、いつも結果は同じだということを嫌という程経験していたはずだ。

優しさや庇護の皮を被って、結局のところ元夫は自分の都合のいいように物事を運ぼうとしている。

私の迷いに、脳内裁ちばさみがジョキジョキと刃を鳴らして決断を待っている。

迷った時の強い味方がいてくれてよかった。

 

 

ルールに沿って行動していると、流石に元夫も気がついたらしい。

私たちの関係は限りなくゼロに近くなり、同時に平穏がやってきた。

 

そうして私は元家族一の幸せ者となった。

もう元夫と関わることはない。情がなくもないが、もう知ったこっちゃない。

私の脳内裁ちばさみが私の平穏を守っているのだ。

離婚して一番幸せになったのは私。

シャワーを浴びているときにふと気がついたのだけど、元家族(私、元夫、娘)の中で、離婚したことで一番幸せになったのは私だ。

苦手な人(元夫)とこれ以上関わる努力をしなくてよく、

大好きな人(娘)のそばにいることができる。

 

私の知る限りでは、元夫は娘のことを彼なりに大切にしていたと思うので、いつも会えなくなるのは望んだことではないはず。

 

娘は父親が好きなので、一緒に住めず、会いたいときに会うことができず、我慢を強いられている。

 

私だけが、会いたくない人と会わず、会いたい人と会える状況になっている。

私が一番幸せだ。

離婚にまつわる流れで辛いことが多かったから気がつかなかった。

ひとり親としていつも戦闘態勢でいたから気がつくことができなかったのか。

ゴタゴタも気持ちも落ち着いた今になって、やっと気がつくことができた。

 

元夫は自分で決めたことだから幸せ度としては次点か。

 

やはり子どもが一番の犠牲者であるということは否めない。

私の幸せのために、子どもを犠牲にしているという事実はどうしたって拭えない。

 

大好きな娘を犠牲にしてまで自分が幸せになろうと行動したのだから、せめて、いつも朗らかに、機嫌の良い母親でいたいと思う。いや、いる。それが使命で絶対で必要。

 

彼女の会いたい人(元夫)と常にいられるように結婚を続けていたら、仮面家族という偽装した人間関係のなかで暮らす環境を与え続けることになる。

 

それよりは、いくらか今の方がマシだろう。