編み込む日常

30代半ばでシングルマザーになりました

蜂が入って来たことや家で過ごすことなど。

ベランダがしっかり菜園になった。朝起きてカーテンを開けてベランダを見ると、昨日と違う様子が目に入るので、つい、ずっと眺めてしまう。

窓を開けて膨らんで来たトマトを眺めていたら、バチバチと嫌な音がする。

いつの間にか部屋に入った蜂が窓に当たっている。

「蜂が入った!」娘が叫んで、ソファから転げるように降りて、キッチンの方に逃げる。

殺虫剤は持っていないし、虫網もないし、どうしよう。叩き潰すのも嫌だし、蜂が攻撃に怒ってこちらに向かってきたらもっと嫌だ。

結局できるのはまた窓から出て行ってくれることを願って窓を開けておくしかない。

次の虫が入ってくる危険があるけれど、それ以外にできることがない。

窓が開いているとわかってくれない蜂が、窓に向かって何度も突進して窓と羽が当たって嫌な音を立てる。

「そっちじゃないよ!こっちが開いてるよ!」2人して蜂を応援して数分。

蜂は偶然開いている窓の方に移動して、解き放たれて三階のベランダから飛び立って行った。

 

梅雨の晴れ間の空気は、太陽で熱を持ち重たく全身に絡みつく。

雨が続いてると早く夏がきてほしいと思っていたけれど、こんな様子ならこれからしばらくは雨でも晴れでも家にいるしか選択肢はないと思う。

秋が待ち遠しい。

 

1年半が経とうとしている自粛生活もすっかり馴染んできて、週末ごとに遠出をしていた生活がどんな様子だったか思い出せない。

散らかった部屋で映画を見て、お絵かきをして、パズルをする。家で過ごすことで感じいていた罪悪感のようなものもすっかりなくなった。太陽を無駄にしているような、もっと楽しいことが外にはあるのではないか、と思う、ここではない何処かへ行きたいというような気持ちも今ではすっかりない。

他のみんなが楽しんでいるのだから、同じように私も週末を満喫しなければ、というような強迫観念だったのかもしれない。

絶え間なく目に入る外の魅力的なものを体験しなければ損をすると思っていたのかもしれない。

 

今では、多くの人がそのような楽しみ方はしていないし、そもそも、そんなにやりたいことばかりだったわけでもないのだろう。

確かに家の外には何かは、あった。目的地を決めずに出かける時にある人や物との出会いは好きだ。

ふらっと入った喫茶店の美味しいタルトとか、イベントで出店していたジュエリーショップの店員さんが娘に優しくしてくれたこととか。

今でも時々懐かしく思い出す。

それでも家も悪くない。

絵を書いたり、映画を見ることにも思いがけない出会いもある。この生活は私には結構快適だ。

コロナを気にせずに出かけられるようになったら以前の生活と今のスタイルを掛け合わせてハイブリットに暮らせればいいな。