編み込む日常

30代半ばでシングルマザーになりました

ゴミ屋敷と魔女の宅急便

ゴミ屋敷と言われる部屋が片付けられていく動画を見るのが好きだ。

先日見た動画では、飲みかけの同じ銘柄の缶ビールが部屋の半分を占めていた。

積み上がる空き缶というだけでも圧巻なのに、それは殆どが、ビールが少し残った状態らしい。

その状態にますます心を掴まれてしまう。

もう飲みたくない、でも捨てるのはもったいない。その先の判断と行動が難しいくらい何かに疲れていたのではないか。

 

山のようになった空き缶を見て、社会の教科書で学んだ貝塚を思い出す。

もしここの住人が縄文時代を生きていたら、ゴミ屋敷だなんて言われずに、普通に生きていたのだろう。

食べたり飲んだりしたものはその包装を種類別に分けて居住空間には目に入らないように隠す。そして決められた日時に決められた場所へ持っていく。

これがとても難しいと感じる時がある。

今のところ私の家には人がよく出入りするので苦手な片付けを時間をかけてやってはいるけれど、たまたまこの状態でいるだけだと感じる。

 

ゴミ屋敷の住人は別のタイミングを生きている自分のような気がする。

何かのバランスが変わったら私はいつでもあちら側にいる可能性がある。

 

 

魔女の宅急便」を読んでいる。

映画も書籍もとても好きだ。そこに書かれているシンプルで物事があるべき場所へ収まっているような暮らしが羨ましく、ワクワクすると同時に2度と手に入らないものを目の前にして、ずっと悲しい。このようにどうして生きられなかったのだろうか?と自分の複雑化した暮らしと比べてしまう。

今の時代に、この、触れるものでやりとりをするような生々しい暮らしを送ることは、もうできないのだろう。

 

縄文時代から児童書を経て、自分の首をしめている今の複雑さをどうにか解く手立てはないかと考えている。