結婚と自己顕示欲の柱で生きてきた。
とにかく結婚が目標だった。
結婚願望が強いかどうか考えたこともない。それほど当たり前で大前提だった。
いずれ結婚する。そして私の周囲にいたような母親たちのように暮らすのだと思っていた。
私の母は専業主婦で、学校が終わり友達の家に行くと専業主婦のお母さんがいた。いつも周りには「お母さん」であり「奥さん」である大人の女の人がいた。
結婚をしている人はよく見ている。
結婚をしていない大人の女の人の暮らしはあまり知らない。
思春期になると、母親への疑問や反抗心もあったけれど、とは言ってもそうではない女性の暮らしは見たことがない。
仕事をしているお母さんならたまには見たことがある。
でも結婚をしていない女の人と言ったらもう、映画や漫画の中の話だ。
書きながら思い出したけれど、小学校の家庭科専任の先生は独身だった。
彼女は当時の母親よりも少し年配だったように思う。
猫と妹と暮らしている、と言っていた。
彼女の分厚いメガネと、濃いベージュのストッキングの中で潰され乱れたすね毛をよく覚えている。
10代までに出会った結婚していない女性はそれぐらいだった。
それに加えて自己顕示欲のお化けのような人間だった。今もそうだ。
人に一目置かれたくて仕方がない。
人から一目置かれたいのに、性格的に競争心は皆無。
大抵は妄想の中で人に羨ましいがられてほくほくと脳汁をたらすような自分でもそんな子がクラスにいても友達になりたくないタイプの人間だ。
それは今も変わっていない。
カッコ悪いことをすることが何よりも嫌で、人前で批判されることや失敗することが何よりも嫌だった。大学は実力が目に見える形で明らかになるので、相当にカッコわるかった。
そこで私は高給取りの彼氏と付き合い、銀座の高級なバーや料理屋さんについれて行ってもらい、自己顕示欲を満たしていた。
彼氏はとても優しく、わがまま放題の私にできるだけ答えようとしてくれて、お姫様扱いをされて私はますます鼻高々なのだった。
学生の身分でそんな彼氏がいることに自己顕示欲は満たされ、同時にその付き合いの先にはもう一つの柱である結婚も視野に入っていた。
そして、自己顕示欲と結婚という二本の柱が合致した。
そうなると何も迷いがない。この道を進むことだけであった。
勉強や仕事にはますます興味がなくなる。目標が達成されようとしているからだ。
人生いっちょあがりのはずだった。
いっちょあがり感を味わうことができただけでも当時の彼氏であり元夫には感謝しなければならない。
そして結婚は、残念ながらというか当然ながらというか、うまくいかなかった。
こうやって書いているとこんな薄っぺらな人間とよく結婚してくれたものだと思う。
結婚はそれまで生きてきた中ではじめて経験する「いずれ結婚するのだし」という逃げが通用しない暮らしだった。
人生勉強そのものだった。
そして結婚してからはじめて気が付いた。
結婚について何も知らなかったのに、なぜ目標にしていたのか。
結婚しないという選択肢が謎すぎて、選ぶことができなかったからではなかったか。
私が結婚を選んだのは、ただ流されたからであり、わからない方を選ばない消去法だったとも言えるのではないか。
私が子ども時代を過ごした約30年前。
私の周りの子どもたちもほとんど同じ環境と条件だったように見えるのに、なぜ何かに一生懸命になれたり、将来の仕事を見つけることができたのだろうか?
私にはできなかった。
私のような愚鈍な人間は、流れ流され、与えられた環境の中で小さな楽しみを見つけて暮らすことが向いている。
割とそれが得意な方だったはずだ。
だからこそ、ここまで流されてやってきたのだ。
それなのにもう一つの厄介な柱である自己顕示欲が生き生きと私の中で脈打つので、「結婚」と折り合いをつけて、のらりくらりとやっていくことができなかった。
愚鈍でややこしい人間がシングルマザーという流れに乗ることになった。
当初の柱は、一本失っている。
もう一本の柱は残念ながら衰えを知らない。
そうして仕事の合間に飽く事なくこんな文章を書き、恥を晒している。