編み込む日常

30代半ばでシングルマザーになりました

清々しさと、心許なさ。

昨日の夜から降っている雨で、どんよりした朝だった。

ちょっとした傷が重なった6月後半。天気につられて気分もずっしり重かった。

 

自分の指針を信じてここまで来ているけれどこのままで大丈夫だろうか。

でも「こうしなければ」で動いた時に、

好きなことをやっていきている人を見たて感じる悲しい気持ち、抱いた嫉妬。怒り。

 

例えば、彼氏の趣味に合わせてそこまで好きではない服を選んで着ていたのに、彼の趣味が変わっって、どちらかというともともと自分の好きなテイストだった時。

「私、本当はそっちなんですけどーーー!!」と叫びたい感じ。

でも今更、遅くて、「え、全然違くない?」と言われた時の、「時間を返してくれー!」という心の叫び。

 

社会だってそうだ。

「今の世の中これじゃ生きていけないから、こうしなきゃ」

で生き方を寄せたのに、時間が経って時代が流れて、

「今の時代はこうだよね」

ってなって、いや、私がもともとそれやりたかったことなんですがー!ってなっても誰も責任とってくれない。

時代や世の中に合わせて生きても誰も責任をとってくれない。

それは変わっていくことが常だから。

 

自分を基準に生きていけば、世の中の流れとは外れてしまっても自分が満足しているから誰に不満も抱かない。

そのうち行き詰まるかもしれないけれど。

社会に合わせたところで、行き詰まらないとも限らない。

同じ行き詰まりなら、自分基準で行ったほうが納得がいく。

行き詰まるまでの間、心地よい時間を過ごしたことは何にも変えられない。

 

我慢して過ごした時間は耐えた時間。

自分で選んで過ごした時間1分ずつに宝物になる。

 

自分でやりたいことをやる以外の道はなし。

 

 

と思って勝手に歩いている道は、思いの外快適であり、孤独でもある。

寂しいとは違う。

広大で緑豊かな高原をひとりで歩いているような清々しさと心許なさが同時にある。

1人だからこそ清々しい。清々しさと同居する心許なさ。

心許ないから清々しい。

表裏一体の状態で、時々心許なさが勝ったりして、もうこのままでは歩けないとうずくまることもがあるのも事実。

それでもまた今日みたいに朝はどんよりとした空でも昼から晴れたりして、それだけで気分も良くなって、その輝かしさにまた歩くことができたりする。

その繰り返し。

 

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