編み込む日常

30代半ばでシングルマザーになりました

0617_平和な朝方に夜泣きの地獄を思い出す。孤高の戦士だった頃。

いつも通り朝4時に起きる。
最近は子どもと一緒に夜は21時に寝ているので、きっかり7時間寝ている。この生活が定着して2年ほど。

ここのところ睡眠が安定しているので、それだけで体調がいい。

 

娘の夜泣きがひどかった時は、2時間おきに悲鳴で起こされて、寝ることも作業をすることも許されなかった。あの頃はとにかく、「続けて寝たい」というのが切実な思いだった。それと、とにかく続けて寝てほしい。そうしないと私のまとまった時間がないからだ。当時は資格の勉強をしていて、勉強を始めると、寝室から娘の悲鳴が聞こえてきて、イライラしていた。

 

夜泣きには本当に悩まされた。

赤ちゃんの頃の、「おっぱいが欲しい」「オムツが気持ち悪い」という泣きとは違う。そのころはむしろ長く寝てくれていたので、育児、結構楽勝かもと余裕でいた。

1歳前後から、2時間おきの悲鳴のような夜泣きが始まった。

突然叫び出し、これ以上ない辛いことがあるように号泣する。こちらはオロオロするばかり。
抱っこをしても泣き止まず、でもベッドに置くとますます泣くので、暴れる娘を落とさないように抱っこする。
飲み物をあげようとするとコップを投げる。
娘は泣き声が特に大きいので、夜中の全力の叫び声にご近所のことが気になる。
なんとか泣き止ませようとおせんべいを見せても、全力で拒み投げる。
テレビをつけてもそれに対抗するように大きな声で泣く。
お気に入りの動画を見せようとするとスマホを投げる。
全くなすすべがない。
ひどい時は2時間全力で泣き続ける。

結局毎回何か違うきっかけで泣きやみ、いや、泣き疲れたのか号泣は終わり、腕の中でぐったりと眠る。

あの時はほんとうに、ほんっっっっとうに大変だった。

 

すでに別居していたので、1人で対処するしかなかった。いや、別居していなくても、ほとんど元夫は家にいなかったので一緒に夜泣きに対処することはなかっただろうし、本来いるはずの戦力がいない状況からくる苛立ちも感じなくてすむ。

1人で対処することはむしろやりやすかった。
でも、ふと、もし、協力的なパートナーがいて、この状況に2人で協力して挑むことができたら、心強いだろうなぁ、と思うことはあった。
でもそれは夢の話。
離婚してからというもの、何においてもそんな感じだ。
1人で親をやることは私は全然苦ではない。私にとって最悪なのは、担当者が2人のはずなのになぜか私だけやっているのはなぜですか?という状況で、つまり、非協力的なパートナーとの暮らしが最も苦痛だ。
それに比べて、自分だけが担当者である今は現実的でスッキリしている。何も不満がない状態。
でも夢のようなおとぎ話として、協力的な育児のパートナーがいたらと想像すると、「はっ!最強では?!」と思う。
でもそれは私にとっては非現実的なファンタジーだ。

今の状況がちょうどいい。


とにかくあの頃は朝まで寝てくれることが夢だった。

私の周りにこの夜泣きに共感してくれるママはいなかった。

「疲れてぐっすり寝れるまで遊ばせればいいんじゃない?」と言うママ友や、

「泣いたらしっかり抱っこしてあげて」と言う年配の保育士さんもいて、

そうじゃないんだよな、と思っていた。

遊び疲れたらむしろ夜泣きはひどい傾向にあったし、抱っこしようとする私を蹴って、ぶって、頭突きして拒もうとするのだ。でも、だからと言って離れるともう大惨事。

取り憑かれたように暴れる。

 

結局ネットで調べたところ、夜泣きは睡眠障害で、夢遊病に近い症状だとわかった。
脳の発達途上に起こるバグだと解釈している。

確かに、娘に夜の出来事を聞いても全く覚えていなかった。

それに泣いているのに不思議と眠っているようでもあった。本当に数回だけど、夜泣きしている娘の体を揺すり、顔をこすって「起きてー!!」と言うと泣き止んだことがある。ほんの数回だけど。

 

結局対処法は見つからなまま3歳になった頃から寝てくれる日が増えていき、4歳を過ぎて気がつけば夜泣きはなくなっていた。

でも6歳になった今でも時々、寝ているときに「嫌だー!!」と叫んで足をジタバタと動かし暴れることがある。

寝言にしては定型すぎるセリフで、全力で「嫌だー」と叫ぶような夢を見ていると思うと心配になるが、多分あれは、夜泣きの名残だと思っている。

何か脳に、嫌なバグが今も起こっているのだろう。

もう号泣しない代わりに一言叫ぶ。寝室で叫び声をリビングで聞く。これぐらいならかわいいものだ。

 

過ぎてしまえば他人事のようだけれど、あの頃を問題を起こさずにやり過ごすことができたのは奇跡だと思う。何度、暴れる娘を放り投げてしまいたいと思ったか。

みんなが寝静まった後にはじまる戦いは、世界で私たちだけが存在しているような不思議な距離感があった。
あの時私は確実に孤高の戦士だった。うん、間違いない。